歴史の道 高野山 町石道

歴史の道 高野山 町石道

平安時代、空海が真言密教の根本道場として開創して以来、高野山は現世浄土として広く信仰を集めている。古くからこの聖地へ向かう道は幾本もあったが、それらは山に近づくにつれて合流、7つの道に集約されて山内に入って行く。その7つのうち九度山の慈尊院から大門を経て壇上伽藍へ通じる表参道を高野山町石道といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道である。
鎌倉時代になり、朽ちた木の代わりに石造りの五輪塔形の町石が一町(約109m)ごとに建てられた。町石は空海の生地讃岐産の高さ3m30cm角の花岡岩。山上の根本大塔を基点にし、慈尊院の石段途中を最後に180町石を建て、胎蔵界180尊にあて、さらに大塔から奥の院までの36町石を設け、金剛界37尊とした。現在も梵字が刻まれた町石が残っている。はるばる参拝にこられた人々は、空海自身が登ったこの道に辿り着いたとき、どんな心持ちだっただろう。37尊、180尊を表す町石自体が信仰の対象で、一町ごとに合掌しながら登山したという。天皇、上皇から庶民まで、遙かの昔から数え切れぬ程の足跡が、悟りと癒しを求めて歩んだ道。万人の魂を誘い導くそれはまさしく祈りの道、信仰の道であった。

高野七口(高野街道)

高野七口(高野街道)

弘法大師入定以来、高野浄土信仰の広まりとともに、人々の参拝が盛んになり、参拝者がたどった高野山への道で、主な7つの道を高野七口とよばれていた。なお、高野山は女人禁制であったため女性は山内に入れず、各入口には女性のための籠り堂として女人堂がつくられ、女人信者は御廟を拝みたいと八葉蓮華の峰々を巡る女人堂を辿ったと言われている。現在は不動坂口にのみ女人堂が残っているが、他の入口にも女人堂跡は残っている。

1、大門口
西口、大門また矢立口といわれ、和歌山口、麻生津口を含む道。
2、不動坂口
京口また学文路方面道を集約したもの。
3、黒河口
大和口または粉憧(つきこ)峠口ともいわれていた道。
4、龍神口
湯川口、保田口、梁瀬口ともいわれていた道。
5、相ノ浦口
南谷方面を指し、水上峠、大松峠などの道。
6、大滝口
熊野口ともいい、南のろくろ峠を含む道。
7、大峰口
東口、野川口を含む道。
その他
女人堂がある。

高野七口(高野街道)

五輪塔

五輪塔とは、五つの違う形の石を組み合わせた塔です。
下から地・水・火・風・空。
梵字(サンスクリット語)でア・バ・ラ・カ・キャと刻まれています。
『宇宙はこの五つの要素からなりたっている』とお大師さまは説かれています。
人の身体もこの五つの要素から出来ているといわれ、わが国独自の形といわれています。

五輪塔

高野山ハイキング①高野山三山巡りコース
高野山ハイキング②女人堂巡りコース(ファミリーコース)