開山以来、女人禁制の掟が堅く守られていた高野山。七つの登山口にはそれぞれ女性のための籠り堂として女人堂が設けられ、参詣の女人はこれより山内に入ることを許されず、このお堂にて真言をとなえつつ夜を明かしたという。大門口、不動坂口、黒河口、龍神口、相の浦口、大滝口、大峰口がそれである。また弘法大師入定以来、高野浄土信仰のますますの広まりとともに、人々の参拝が盛んになり、女人信者は御廟を拝みたいと八葉蓮華の峰々をめぐる女人道をたどったといわれている。明治五年に女人禁制が解かれたが、不動坂口を登りつめたところには今もお堂が残り、他の入口でも女人堂跡が当時を偲ばせる。いにしえの女人たちは、山内へ続く道をどんな思いでみつめたのだろう。
 
苅萱道心と石童丸の伝説ゆかりのお堂です。『石童丸物語』は高野聖によって全国津々浦々に語られ、堂内にはこの物語を絵にした額がいくつも掛けられています。
 
貞応2年(1223)北条政子が我が子源実朝の菩提を弔うために建立しました。(国宝に指定)
また、同年に建立された経蔵は、高野山唯一の校倉造りで、重要文化財に指定。境内のしゃくなげは天然記念物。
 
山内の貴重な文化遺産を保存・展観する施設として、大正10年(1921)に開設されました。
その後収蔵品の増加にともない、昭和36年に大宝蔵を増設し、山内の国指定物件の文化財を収蔵しています。